イスタンブール近郊の町ツアー1日目、今日はイズニックです。ローマ〜ビザンツ時代に造られた城塞の内側にある約1km四方の街で、タイルの生産地だった街です。現在ではタイルの生産は別の街に移ったものの、街中でタイルを多く見ることもできるそうです。街ブラにぴったりです。
イスタンブールからフェリーで1時間、バスで1時間ほど。地球の歩き方と低橋さんのブログを参考に行ってみます。まずはエミノミュから地下鉄マルマライ線でイェニカプ港へ。やっぱり以前と比べてフェリーの本数が減っているようで、朝イチの便に乗らないと私の鈍足では帰ってこられなさそうだったので6:00起きで始発フェリーに乗ります。
エミノミュ駅の乗り場に向かうエレベーター。
どこまで降りたらいいのかわからなかったのですが、乗ってボタンを押さず待ってれば乗り場の人が呼んでくれるだろうと思って待っていたら、-9階まで降りて行きました。ちゃんと乗り場の階でした。-8階までには何があるんでしょうか。
まだ7:00前ですが結構人が多いです。
そしてむちゃくちゃ長い電車でした。車両間に仕切りがないのでどこまでも見えます。後ろにもまだあります。
イェニカプ駅を降りたら港へ。看板があるので簡単でした。
イズニックに向かうヤロワ港までは200TLくらい。フェリーターミナルに売店があるのでパンを買って食べ、乗った後は爆睡です。乗っているのはほとんどトルコの方のようでした。
1時間ほどでヤロワ到着。右に行くとオトガルがあり、「イズニック」と書かれたミニバスに乗車。私がトロトロ進んできてしまったようでミニバスは満席になっていたのですが、運転手さんに乗るようにジェスチャーされたので乗車。一番前の席の前にミニテーブルがあったので、そこに軽く腰掛けて乗ってました。しばらくしておじいさんが降り、おじいさんが真顔且つ無言の圧ある雰囲気で私に座るようにジェスチャーして行きながら去って行きました。
どんぶらこどんぶらこしていたらあっという間にイズニック。途中、大きなイズニック湖も見えました。この辺りで自分のスキルが上がっていることを感じます。自分の知識が増えたと言うよりは、「多分こっち行けばいい」「この人たちについていけばいい」という感覚がわかるようになってきたと言うか。
オシャレな壺。
モスクの壁や柱が全部タイルまみれ。
ローマ劇場がまたあるとのことで行ってみたくてきたのですが、Googleマップのクチコミに入れるだの入れないだの人骨があるだのいろいろ書かれていました。入れないかもしれないので一応外から撮影をしていると、大型犬3匹を散歩しているお兄さんが。お兄さんは私に「ノーデンジャラス」と言ってくれたのですが、すれ違った後に1匹の犬が鼻を私のお尻にぶっ刺してきて大変驚きました。仲良くしようとしてくれたのかもしれません。
ローマ劇場は入れました。無料でした。最近でもまだ発掘調査中のようで、時期によって入れたり入れなかったりするそうです。
本当に人骨。
「掘ってたら出てきちゃったんでそのままにしといたよ!」って感じです。
劇場の下を潜ります。
劇場をあちこちで見ましたが、客席の下を見られるのは初めてでした。
客席には一部に舗装されたところがあり、そこだけ登れます。本当に街中にあります。
トカゲだかヤモリだかイモリだか。
すぐ下に隠れてはまた出てきてを繰り返す可愛いやつです。
イズニックは外側を城塞がぐるっと取り囲んでいます。東西南北に門があるので、とりあえず一番近い南のイェニシェヒル門に行ってみました。
車が抜けていくところは東西南北にあるようで、それ以外は城壁があったり欠けてるところがあったり。中は普通の街なのに、こういうローマ感が入り混じり囲まれていてとても楽しい雰囲気です。
南門近くに観光バスが3台ほど停まっており、すごく綺麗な建物がありました。地球の歩き方に何も載ってなかったのですが、新しくできた博物館のようでした。今日は午後過ぎから雨が降るかもしれないので、先に街ブラしてから時間があったら行くことに。
城塞の内側を通って西側のイズニック湖に行こうとしました。ここも観光客が少ないせいか、よく凝視されます。お手本のような二度見をいただきました。運転中の方から特に。
城塞の内側をなんとなくの感覚で進んでいるとおじさんが凝視してきます。挨拶だけして通り過ぎたら行き止まりでした。しょうがないのでもどってくると、おじさんがトルコ語でものすごい腕を大きく動かしながら何かを伝えてきます。多分城塞の外に出ないとそっちには行けないと言っていた気がせんでもないので、お礼を言って城塞の外へ。田舎のトルコのおじさんたちは真顔と無言で一生懸命親切にしてくるので面白いです。城塞の南側には高級住宅街が並んでいました。
城塞からぐるっと回ってイズニック湖。
天気のせいか季節のせいか、低橋さんのブログのような映えるようなターコイズブルーではありませんでしたが、水は綺麗でした。湖沿いではシート敷いて昼寝したりくつろいでいる人が多々。
ビーチバレーならぬレイクバレーをしている女の子たちがいたので乱入してみました。私がボールを返した瞬間に目を輝かせたのが面白かったです。意外と上手いでしょう?
イズニック湖から街の中心に戻る途中でピデ。
お店に入ったらおじさんがテラスにいて、多分お客さんだったと思うのですが店内に向かって大声をかけると可愛い店員さんが出てきました。この辺りは英語は通じないようです。
合い挽き肉とチーズのピデでした。美味しいです。テーブルの上に謎のソースがあったのですが、甘酸っぱいやつで合いませんでした。ドレッシングだったのかもしれません。
午後から雨っぽいのですが、せっかくギョレメで買ったカッパを捨ててしまっていました。マラテヤのホテルでの荷物整理の時に、あまりの天気の良さに「えーい!」となってしまったのです。そしてまた必要になる羽目に。
生活用品店的なお店に何軒か入りましたが、カッパどころか傘すらありませんでした。雨が降ったらまたどこからか湧いてくるんでしょうか。
中心部。
ここから門に向かって東西南北にメイン通りが伸びていて、お店はそこに集結しているのでとても街歩きしやすいです。東に向かう通りが一番のメイン通りで陶器市場もあるようなので向かいます。
斜め向かいにあるのがアヤソフィア・ジャーミーです。何度も修復を重ねているそうで、ぜひ入りたかったのですがせっかく買ったストールをイスタンブールに忘れてきてしまいました。外からチラッと見たらお話しするおじさんをたくさんのおじさんが取り囲んで聞いていたので、説法タイムだったのかもしれません。
やる気のない犬。
ニリュフェル・ハトゥン陶器市場。
長屋にいくつもお店が並び、お店の中では絵付けが行われていました。どのお店も近寄ると手元を見せてくれます。私はできれば色塗りが見たかったのですが、なぜかこの時はどのお店でも線入れをされていました。もちろんそれはそれで美しいのですが、自分の間の悪さに苦笑いです。
メイン十字路から離れても絵付けをしているところがいくつかありました。見たいのですが目の前で見られるとやりづらかろうと、道を挟んだ遠くから見つめてもバレます。バレても笑って手を振ってくれます。手を振られたら近くで見ます。みんな器用でするする描いていくのでいつまでも見ていられました。
リュスレイマンパジャ神学校の陶器市場近くのお家の壁。
お家にもタイルが貼ってあったり各家の表札がタイルだったり、随所にタイルが散りばめられています。表札は小さい数字を見ると嬉しくなるのですが、3や5を3回くらい見ました。「これでは郵便屋さんが辛かろう」と最初は思ったのですが、東西南北に分けられた区画ごとに1〜の数字が振り分けられてるっぽかったです。1を2回見たので嬉しいです。
リュスレイマンパジャ神学校の陶器市場は特に市場感がなく、地元の方々の憩いの場みたいな感じでした。今日は壁にあるドアがどれも開いてなかったので、タイミングによっては陶器市場が開かれているのかもしれません。
イェシル・ジャーミー。
モスクからは大量のおじさんが出てきていました。こちらも何か周回的なものが行われていたのかもしれません。この街ではある一定以上の年齢のおじさんとおばさんが分かれているというか、大量のおじさんがいる公園やカフェがあり、大量のおばさんがいる公園やカフェがありました。
前に公園があり、男の子たちがかけ周っていたのですが、私に気がつくと止まって両手を合わせて「コンニチハ」と言ってきました。その両手を合わせてこんにちはするのは間違ってはいるのですが、それを説明もできないのでただただこんにちは。あの両手合わせてこんにちはするのは何が混ざった認識なんでしょうか?インドのナマステ?
奥に見えているのはイズニック博物館です。ここには歴史的展示物が多いそうで、言葉のわからない私は目で見て楽しいものがある博物館に行きたいので、行くなら新しい方の博物館が良さそうです。
怪しいカフェ。営業していませんでした。
東にあるレフケ門。ここが一番しっかりしていたような気がします。
イズニックを出た後「低橋さんのブログにあった"Don't cry"の城壁見たかったな」と思いながら写真を見返していて気づいたのですが、多分ここがその場所ですね。石を組み替えられたのか "Don't cry" がなくなっていました。そして何も考えず登って覗いて「わー」と言っていました。あとから感慨を足しておきます。
もう一度東からメイン通りを歩き、一通り見た結果一番可愛いと思ったピアスをニリュフェル・ハトゥン陶器市場で買いました。お店の方は片言の英語でしたが、商品を手作りしてることやインスタをやってることなど興奮気味に話していました。私が首につけているものを見つけて「あっ」と見ようとしてくれたのですが、これはただの肩こり用のやつですごめんなさい。すぐアクセサリーでないことに気づかれて「Oh...」と言われました。
ほかにもお土産屋さんを見ていたのですが、数人の大人に連れられた遠足っぽい子どもたちがいました。そのうちの2人の女の子が近づいてきて、ジェスチャーで一緒に写真を撮りたいことを伝えられ、もうすっかりその状況に慣れてしまった私は普通に写真を撮られたのですが、先生らしき男性に「どこから来たの?」と聞かれ「ジャパン」と答えると一緒に写真を撮った女の子が「ハァッ」と大きく息を吸い込んだ後、友達にもたれかかり泣き出してしまいました。
先生曰く、彼女は日本が大好きなんだそうです。あまり英語を話されなかったのでそれ以上の理由は分かりませんでしたが、ただ日本人なだけの私にそんな反応をされてしまって恐縮すぎるというかどこか申し訳ないというか。何か日本のものをプレゼントできたら粋だったのですが、もうすっかりトルコに染まった私は持っていた日本のハンカチも飴も味噌汁もバッグパックの奥底に入れたまま持ってませんでした。
その後も少しお店を見ていましたが、女の子は遠くからちょろっと覗いて笑っていて可愛かったです。
カザンディビ。
昨日食べられなかったので。やっぱり美味しいです。ところで「中の繊維は鶏肉」ということなのですが繊維を感じられません。レシピが変わったのか私の口が馬鹿なのかどちらでしょうか?
もう一度アヤソフィア・ジャーミー。
今度は人っ子ひとりいなくなってしまったので、入り口から写真だけ。まるで遺跡かのような重厚感ある内装が素敵でした。
もう雨が降る気配がなくなってしまったのでそのまま歩いて博物館へ。こちらにも先ほどとは別の遠足風の子どもたちがいました。
昔の人の家。家づくりに使われるほどのいい土があるからタイルなどの陶器生産が盛んになったのかなと思いました。そして思い出したのはM-1グランプリ2003の笑い飯の奈良県立歴史民俗博物館ネタの「えぇ土〜!」でした。
ファッ!?
お墓の再現だそうです。
ものすごくカラフルで可愛い作りに目を奪われますが、右下にちゃんと骸骨さんがいて笑いました。
タイルの数々。
タイルや可愛い柄の壺なども展示されていました。やっぱりこの青が可愛いです。
ずっと城塞沿いに歩いてみました。
南から東に向かっては歩けそうだったので。途中で歩いて外に出られる場所があったので出てみたのですが、高級住宅の多い南側と打って変わってちょっとスラムっぽい雰囲気でした。「お、やめといたほうがいいかな?」と思っていると通りかかったバイクの青年にジェスチャーで戻るように言われたので大人しく城塞の中に戻りました。
放し飼いの鶏。
特に人間についていくわけではなく、一番大きい黒い鶏に続いて道路脇を歩いたりしていました。私が来たことで驚いて逸れた1羽をずっと呼び続ける黒いリーダー。呼ばれて草むらを突撃して戻ろうとする迷子鶏。邪魔してごめんなさい。
こんな自由な状態で危なくないのかなと思っていたら、少し進んだところでのし鶏を見てしまいました。あまりに案の定です。
小さなオトガルに行ってバスを探したら45分後だったのでチャイを飲みながら待ちました。ここもおじさんだらけでした。やってきたバスに乗っていたら女の子が乗ってきたのですが、着ていたTシャツに「幸福な」と書かれていました。「Happy」の直訳ですかね。
ヤロワ港につき、フェリーが90分後だったので晩ご飯を食べにいくことに。
港らしく魚だけでなく野菜の市場などたくさん地元向けのお店が並んでいました。
おやつ用のドライフルーツがなくなったのでお菓子屋さんで購入。イスタンブールの半額くらいでした。日本に帰るまでのおやつにします。
ロカンタを見かけたので入ろうかどうしようかとあちこち回りながら悩んでいたら閉まってしまったのでレストラン。「アンチョビ」と書かれていたので頼んだのですが、アンチョビはイワシだったのを後から思い出しました。頭から丸ごと食べられて美味しいです。スープは「フィッシュスープ」と書かれていて、そこの方に魚の身が入っていました。
帰りのフェリー。
行きのフェリーで「船に近づきすぎて全体を撮り損ねた」と思っていたのですが、またも近づきすぎました。船を見つけると「わー」と近づいてしまい、いざ乗るときに冷静になって写真を撮ることを思い出してしまいます。
新市街側と思われる夜景。モスクが強そう。
またイェニカプからエミノミュにマルマライで戻りました。昨日きっと乗らないからと写真を撮ったエミノミュ駅にあっさりやってきてしまいました。行程の把握ができていません。
明日は結構な雨らしいので、イスタンブールのカメラ屋さんになぜかあったカッパを買って帰りました。